神戸地方裁判所明石支部 昭和62年(ワ)21号 判決 1988年6月27日
原告
柳田満晴
被告
新居省吾
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告
1 被告は原告に対し、金二四二万三二一四円及び内金二一二万三二一四円に対する昭和六二年二月二四日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言。
二 被告
主文と同旨。
第二当事者の主張
一 原告
1 本件事故の発生
別紙事故の表示記載のとおり。
2 責任
原告はタクシー運転手で客待ちのため停車中のところ、被告運転の普通貨物自動車(以下、被告車という)が原告運転のタクシー(以下、原告車という)の前方からいきなり後退をはじめ、原告は衝突する勢いを感じてクラクシヨンを鳴らして注意を喚起したが、被告は後方不注視のまま後退を続けて原告車に衝突させたもので、被告は民法七〇九条により原告の被つた損害を賠償すべき責任がある。
3 原告の傷害及び治療
原告は本件事故により頸椎捻挫の傷害を受け、みどり病院に昭和六一年二月一二日から同月一六日まで通院、同月一七日が三月二〇日まで入院、同月二一日から五月二一日まで通院して治療を受けた(実通院日数五一日、入院日数三二日)。
4 損害
(一) 治療費 金三八万〇五八〇円
(二) 入院雑費 金三万二〇〇〇円
入院日数三二日につき一日金一〇〇〇円の割合による。
(三) 通院交通費 金六七六〇円
通院日数五二日につき一日一三〇円の割合による。
(四) 休業損害 金九二万三八〇〇円
原告は当時平均月収金二七万九九四〇円の収入を得ていたところ、昭和六一年二月一二日から五月二一日までの九九日間休業を余儀なくされ、右損害を被つた(二七万九九四〇円÷三〇×九九)。
(五) 後遺障害による逸失利益 金五〇万三八九二円
原告には頸椎捻挫の後遺症として、大後頭神経圧痛左側(+)、頸椎神経根部圧痛左側(+)が残存し、自覚症状として同部の疼痛、左側肩から上腕にかけての倦怠感があり、これは後遺障害等級一四級に相当する。右障害の残存期間を三年としてその間の逸失利益は二七万九九四〇円×一二か月×三年×一〇〇分の五により右金額となる。
(六) 慰謝料 金一四〇万円
入通院分 金六五万円
後遺障害分 金七五万円
(七) 弁護士費用 金三〇万円
5 よつて原告は被告に対し、損害賠償として前項の損害合計額金三五四万七〇三二円から既払額一一二万三八一八円を控除した残金二四二万三二一四円と、うち弁護士費用を控除した金二一二万三二一四円に対する本件反訴状送達の日の翌日である昭和六二年二月二四日から支払いずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 被告
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2は、被告に後方安全確認義務の違反があつたことを認める。
3 同3は、原告がみどり病院で頸部捻挫の傷害を負つたとの診断を受け、入院約一か月、通院約二か月の治療を受けたことは認める。
4 同4の事実は否認する。
5 本件事故は以下のとおり軽微なものであり、原告におよそ頸椎捻挫の傷害が生じる余地がなかつたものである。
(一) 本件事故の概要は、一トン積みの普通貨物自動車である被告車が時速約三キロメートルで後退したため、後方に停止していたタクシーである原告車の前部に衝突したものであるが、一般に重量差のない車両間においては時速一〇キロ以下の追突ではいわゆる鞭打ち損傷は生じないとされ、しかも前方からの衝突の場合には後方からの追突の場合よりも外傷は一層発生しにくいとされている。
(二) 原告車の前部には、修理を要する程の損傷はなく、原告車はタクシーでありわずかな外見上の損傷でも修理するのが通例であるところ、原告車は何らの修理がなされずに使用されている。一方、被告車後部には従前から破損個所があつたが、本件事故によるものと認めるべき損傷はない。
(三) 原告車は前方から追突を受けた際に全く後方に移動していない。すなわち、原告車に加わつた衝撃加速度はゼロであり、原告車が加速移動していない事実は、乗員の上体も全く動揺していないことを示し、従つて慣性が働く余地がなく頸部に鞭打ち運動が生じない。なお、衝突の際の車体の振動(パネル振動)が考えられるが、パネル振動には人体を損傷するほどのエネルギーはなく、そのような振幅の小さい揺れで頭頸部が大きく揺れ鞭打ち運動を起すこともない。
(四) しかも、本件では、原告は衝突時には左手でハンドルを握つていたうえ、被告車が後退してくるのに気付いてクラクシヨンを鳴らして警告するとともに衝突に備えて身構えの防禦姿勢をとつており、仮りに何らかの衝撃があつたとしても原告は相当程度の衝撃に耐えうる状態にあつた。
(五) 本件では、原告が本件事故により頸部捻挫の傷害を受けた旨の診断書が存するが、医師は、本件事故で外傷の原因となる程の衝撃があつたか否かを検討したわけでも、他覚的所見に基づき右の診断を下したわけでもなく、医師は右診断が確定的なものではなく仮説的なものであることは認めている。
第三証拠
本件記録中の書証目録、証人等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。
理由
一 請求原因1の事実、同2のうち原告が頸部捻挫の診断を受けてみどり病院に入通院したことは当事者間に争いがない。
二 本件事故による原告の受傷の事実につき検討するに、成立に争いのない甲第五号証(原本の存在とも)、第六、第七号証、第一一ないし第一六号証並びに本件弁論の全趣旨によれば、以下のとおりの事実が認められる。
1 原告車は二〇〇〇ccのタクシー用乗用車であり、被告車は一トン積み二二〇〇ccの普通貨物自動車で事故当時には作業道具のほかには積載物はなかつた。被告は被告車を運転して事故現場の道路を南に進行し、前方の信号赤で前車に続いて停止したが、この時点で左折すべき交差点をわずかに行き過ぎた。一方、原告は客を一人同乗させて原告車を運転し、被告車が停止したのに続いてその後方に約五メートルの間隔をおいて、被告車よりも道路中央寄りの位置で停止した。行き過ぎに気付いた被告は、自車に続いて後方に原告車が停止したのに気付かず、時速約三キロ程度の速度で自車を徐々に後退させた。原告は普通の状態で運転席に座り左腕をのばしてハンドルに手をかけ右手を下におろし、サイドブレーキをかけた状態で前方を見ていたが、被告車が徐々に後退してくるのを知つて衝突の危険を感じた段階でクラクシヨンを鳴らし、これを聞いた被告はすぐにブレーキをかけたが間に合わず被告車の後面右側が原告車の前面右側に接触したが、その寸前に原告はフツトブレーキを踏んで衝撃にそなえた。衝突された原告車は後方には全く動いておらず、原告車に乗つていた客は何らの痛みを訴えることもなく降車して立去り、原告自身も身体のどの部分も打撲していない。
2 衝突後の原告車は、バンパーの左側がすこし後方に押しやられたと見える程度、左前照灯の枠が若干ずれた状態となつただけで、他に格別の損傷個所は存せず、現にその後も原告車は何ら修理されることなく営業用に使用され、一方、被告車には本件事故の際の衝撃によるものであることを示す凹損等の損傷個所はない。
3 事故後、その場で原被告とも降車したが、原告はその場で何ら痛みを訴えることなく、原被告ともそれぞれ自車を運転して近くの派出所に出かけて事故の届出をした。被告は警察官にも痛みを訴えなかつた。続いて原被告は原告の会社に出向いたが、被告は事故担当者から、人身事故とすれば罰金の五万や八万がくる、どんな事故であるにしても五万位は出せと申し向けられ、これを拒絶して別れた。原告は当日会社からみどり病院に行き、一四日にも診療を受けて頸椎捻挫、加療二週間の診断書の交付を受け、人身事故の証明をもらうからと被告に連絡をとり、一五日頃にあらためて人身事故の届出をなし、これには被告も求められて同行した。その後原告は一七日に入院したが、これを知つた被告は一八日にタクシー会社に出向き、事故担当者に対し治療費のほかに一〇万円を払うから人身事故の届出を取下げてくれと申し入れ、同人とともにみどり病院に出向いてその旨原告に表明したが、原告は入院した以上は三か月分の補償をせよと言つて右の申し入れを断つた。
4 ところで、事故当日みどり病院に出かけた原告は、胸がむかつくと訴えたが、担当の小野医師から、それだけではわからない、二、三日してくるようにと申し向けられ、二日後の一四日に再度受診した。原告にはX線上その他の他覚所見はなく、原告は嘔気等を訴えたが、湿布剤を渡されただけで入院の指示もその必要性も告げられなかつた。小野医師は治療の継続を望む原告の求めにより、事故の状況について訊ねることのないまま、前記の頸椎捻挫の診断書を交付した。原告はその当日か翌日に、以前に診察を受けて面識のあつた同病院の院長に対し、自分の方から入院させてくれと願い出て一七日に入院した。原告の入院は、一四日に原告を診断した小野医師にとつて意外なことであつた。入院後の原告に対しては、点滴、牽引、電磁波照射等の処置がなされているが、頸部運動制限、一般整形外科的検査はなされておらず、原告は入院中に頻繁に外泊した。
5 自動車の追突の事故のうち、金属製バンパー相互の部位の追突の場合、その変形が三ないし五センチ程度以下、また追突速度が一〇キロ以下のときは鞭打ち症の可能性はない旨の研究報告例があり、衝突の際に車体の移動がないとしても、車体の振動(パネル振動)による体の揺れが考えられるが、乗員に頭部等の打撲のない限り一般的にパネル振動によつて外傷の生ずる可能性もない。
三 以上認定の被告車の後退速度が極めて低速であり原告車に修理を要する程度の損傷が生じておらず、原告車は全く動いていないこと、原告は防禦姿勢をとつて衝突にそなえていること、小野医師の診断は、原告の主訴に基づくものであつて原告には何ら他覚的所見はなく、治療を継続するに当つてとりあえず頸椎捻挫の診断がなされたものであることなどの事実に医師古村節男の鑑定書である前記甲第一一号証の内容、そして本件衝突の際の衝撃に関する甲第一二号証中の原告の供述も、ハンドルを握つていた左手を通じての衝撃で左肩が後ろに引く感じであつたという程度のものであることなどの諸事情を合わせ考えると、他方、右甲第一二号証によれば、原告は左肩、左の首のつけ根付近の痛み、嘔気の症状を訴えていることが認められるけれども、原告が本件事故により頸痛捻挫の傷害を負つたものとは到底認め難い。
四 とすれば、原告の本訴請求はその余の点につき判断するまでもなく理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 朴木俊彦)
事故の表示
発生日 昭和六一年二月一二日午後六時五分ごろ
発生地 明石市鍛治屋町三番十六号先路上
原告車 普通乗用自動車(神戸五五う九一九一)
運転者 原告
被告車 普通貨物自動車(神戸四五そ三〇六四)
運転者 被告
事故概要 被告車の後部が原告車の前部に衝突した。